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2014年4月9日水曜日

マウォ・ポルスカ(小ポーランド)は雨模様。。。

夏時間にもなり、気がつくと外も明るくなってきて春を感じられる今日この頃ですが、
この季節が変わるころの小ポーランド(ポーランド語でマウォ・ポルスカ)は、すっきりしない
天気でした。

クラクフに着いた頃(夕方)は未だ天気が良かったので、まずは中央市場広場に向けて
フロリアンスカ通りを両側の店をみながら進みます。

フロリアンスカ通り
後ろを振り返ると、バルバカンに続く聖フロリアンの門(フロリアンスカ門)が見えます。旧市街を囲む8つあった門の1つで城壁の北側の入り口にあるフロリアンスカ門は、現在でも唯一残っている門です。                                                                                                  門の名前になっている聖フロリアンは、ポーランドの守護聖人であり、また、消防士の守護聖人とされています。聖人は皆、聖持物と呼ばれる、その聖人を認識するなにかがあり、それは世界共通です。聖フロリアンはどのように描かれているでしょうか?
フロリアンスカ門を進んでいくとクラクフの象徴ともいえる、中央市場広場ににつきます。
この広場で目を惹くのはやはり聖母マリア教会でしょう。
ポーランド人にとって精神的な街である古都クラクフにおいて、聖母マリア教会は特別な教会でもあり、2010年にはレフ・カチンスキーと妻のマリアの国葬も行われました。

聖母マリア教会
広場の反対側から

広場を抜けて、さらにグロツカ通りをぶらぶらすると、こちらもポーランド人にとって重要なヴァヴェル城の下にでます。1611年にジグムンド三世ヴァーサ(ヤゲウォ朝断絶後に継いだスウェーデン王朝)がヴァヴェル城の火災をきっかけにワルシャワに遷都するまでの長い間、ポーランドの首都であっただけに歴史的な意義はクラクフ、特にこのヴァヴェル城に集まります。
この日はすでに夕暮れになってしまったので、ヴィスワ川沿いを散歩し遠くからヴァヴェル城を。

ヴァヴェル城に浮かぶ月

 一夜明けると、外は雨でした。。。。
雨でも予定通りアウシュビッツに移動します。
何度も来ている場所ですが、雨での訪問は初めてです。なんとなく雰囲気があって
晴天のときに来るより、趣があるかもしれません。

入り口。有名な門
内部の写真はありませんが、これは実際に行かれて見学をしてください。
また、アウシュビッツを訪れた方は、是非、リトアニア・カウナスの第9要塞も
訪れてみてください。アウシュビッツだけでは分からない、強制収容所という人類の負の遺産に
ついて更に考えさせられることでしょう。


アウシュビッツに近いビルケナウ収容所。
塔の上に登ると、向こうから貨物車で人が
運ばれてきた様子が浮かびます。
監視人はここで見張っていたのでしょうか

 塔の上から見ていた人がいれば、貨物車に乗せられてこの地に着いた人達もいたわけで、彼らの目にはこんな風に映ったかもしれません。
実際の貨物車

午後は雨と風が強くなるなか、ヴィエリチカ岩塩採掘坑を訪れます。
おちょこ傘になるほど雨・風が激しいので、外観を撮影する余裕なく中へ!

何百段もある階段を降りて、さて見学の始まりです。
無料撮影禁止のマークがあったので(実は一部だけだったのですが。。)写真がありません。
隠し撮り的にとったのは、塩の柱です。
なめるとしょぱい塩の柱
ヴィエリチカ岩塩採掘坑は鍾乳洞や洞窟にいる感覚で、非常に楽しく見学できます。
実際の見学まで待てない、という方は下記のヴァーチャル見学でお楽しみを。。。

http://www.wieliczka-saltmine.com/visiting/tourist-route

お土産屋にある岩塩の塊

このブログでも何度も紹介していますヤゲウォ朝(どこの王朝か分かりますよね?)が
発展させたクラクフの町には、建築をはじめ、いたるところにヤゲウォ朝に関するものが
見られます。
ヤゲウォ大学
中欧でカレル大学に続く古い大学。キューリー夫人、コペルニクス、アダム・ミツケビッチ、ヨハネ・パウロ2世などの著名な人が学んだ由緒ある大学。
大学内で最も古い講堂コレギウス・マイウスは現在は博物館になっています。
中庭(→)にいくだけで、当時の様子を伺うことができます。
元はポーランド王カジミェシュ大王が建てた
大学をポーランド女王、聖ヤドヴィカ(ヤゲウォの妻) が寄付をして発展させていきました。



そしてポーランド人にとっては精神的な聖地でもあるヴァヴェル城へ。
お城とはいってもプラハと同じく大聖堂を中心にした、いくつかの建物が建ち並んだ複合建築
です。
雨模様なのであまり綺麗でありませんが。。。  
大聖堂
もとはロマネスク様式で建てられましたが、その後の様々な建築様式で増改築が繰り返され、現在みられる形になっています。
歴代の王の戴冠式や葬儀が行われた由緒ある大聖堂であり、ここにはポーランドにおける重要な人たちが永眠しています。                     

ヤドヴィカの墓
ヤドヴィカは、アンジュー家のハンガリー王・ポーランド王ラヨシュ1世(ルドヴィク1世)の娘として産まれ、父ラヨシュ1世の死去にあたり、10歳の若さでポーランド王(女王ではなく)として戴冠。
若いハプスブルグの王子と婚約していたが、ポーランド・リトアニアの共通の敵ドイツ(ドイツ騎士団)に対抗するため、当時38歳のリトアニア大公ヨガイラ(ポーランド名ヤゲウォ)と結婚し、リトアニア・ポーランド連合王国が誕生。そしてヨガイラガがポーランド王となり、ヤゲウォ朝も始まることになりました。ヤドヴィカは信仰心に篤く、慈善事業や文化事業に力を注ぎ、26歳の若さで死去すると、ローマカトリックによって聖人に列聖されました。
因みに、ポーランドのピヤスト朝最後の王カジミェシュ大王の姉がハンガリー王カルロ1世(フランス・アンジュー家)に嫁いでいた為、ハンガリーとポーランドのつながりがあったのです。

ルネッサンス様式が美しい旧王宮
ルネッサンス様式の旧王宮は、ヤゲウォ朝末期に建てられました。ジグムンド・スタリーはミラノ公国から妃ボナ・スフォルツァを娶り、彼女と一緒にクラクフにきたイタリア人建築家によって建設されました。イタリアのルネッサンス様式ですが、ポーランドの気候に合わせて建設されたところが興味深いです。(さて、どこでしょう?)



ヤゲウォ朝はジグムンド・スタリーの1人息子であるジグムンド・アウグストが世継ぎを
残さず死去したため断絶し、リトアニア・ポーラドはスウェーデンなどヨーロッパの王家に嫁いだジグムンド・スタリーの娘(アウグストの姉妹)の婿によって継がれていくのです。

イタリアの話がでたので、夜はイタリアンに。。。
聖母マリア教会のある中央市場広場には、広場にも席がでるほどレストラン・カフェが軒を並べていますが、広場の北東・フロリアンスカ門までの間には碁盤のような細道に、多くのお洒落なレストラン、カフェ、クラブ、バーがあります。
ミシュラン・ガイドにも紹介されている店も多いようですが、そのうちのひとつに入りました。

トリュフのパスタ
ミネラル・ウォーターの銘柄「KINGA」は、王女であり聖人であるキンガに由来しますが、実はヴィエリチカ岩塩採掘坑と結びつきがあります。
ハンガリー・アールパード朝の王女クネクンダ(キンガはポーランド名)は、ポーランドのボレスワフ5世との婚礼に際し、父親のベーラ4世に塩の塊を求めました。当時ハンガリーでは既に岩塩採掘は行われており、ポーランドにおける塩の価値は非常に高かったからです。ベーラ4世はキンガを岩塩採掘坑に連れて行き、そこでキンガはボレスワフから送られた婚約指輪を投げました。ポーランドに着き、人々に岩にあたるまで深く地面を掘るよう告げると、塩の塊を見つけることができました。この塩の塊を2つに割ると、そこには
ハンガリーの岩塩採掘抗に投げた指輪がありました。

キンガは聖人として列聖されており、聖バルボラと同じく鉱山労働者の守護聖人です。


クラクフをはじめ、マウォ・ポルスカには数々の観光地(この地区だけで世界遺産が6つ!)が
あります。
クラクフに行かれましたら、是非、クラクフ郊外も訪ねてみてください。

(プラハ支店 S)

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